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巨大製紙会社の社長バーニーは旧友スワンのひとり娘ロッタをひと目見るや、驚きと忘我のうちに、ことばをなくしてしまう。彼女はまったくの生きうつしだった。若きバーニーと愛を語り合い、未来を誓い交わしたあの酒場の歌姫ロッタに。今はなき、うるわしのロッタ嬢(男まさりにして、なんと情けにあつかったこと)が昔のままの若さでバーニーのまえに再びあらわれたかのようである。

 

かれの心もはるか昔の血潮に若返ったのでしょうか。かれのなかでスワンのひとり娘ロッタへの愛が燃え上がります。おのれの地位も年齢もかえりみることなく若い女性に迫り、手ごたえのなさに苦悩し激しく嫉妬する初老の男。そのさまは愚かさや滑稽さを通り越して、かなわぬ愛の奴隷となって自分を見失ってしまうシリアスな悲劇の主人公のようでもあります。

 

それほどまでにバーニーの愛は真剣なのでした。そして再び見出されたとも言えるこの愛は、昔日の愛をはるかに凌駕し、その燃え上がる嫉妬の炎はバーニー自身を焼き尽くさんばかりなのです。たしかに若き日に酒場の歌姫ロッタに捧げた愛に嘘偽りはなかった。だがその愛に盲目となり自分を見失ってしまうことはなかった。自分の一大帝国をつくりあげるという、おのれの野望を忘れ去る程、かれはその愛に溺れてしまいはしなかったのだ。

 

ぎりぎりのところでバーニーは歌姫ロッタをほっぽりだし、製紙会社の社長令嬢との結婚へと走ったのだった。そしてみごとに野望を成就させ今や帝王の権力をふるうにいたったバーニー。そのかれを焼き尽くさんばかりの嫉妬の炎は、はるかな時を超えて復讐をくわだてる歌姫ロッタの情念なのでしょうか。あるいはバーニーが失ったものがなんであったかをかれに悟らせようとする、バーニーの若き日そのものの復讐なのでしょうか。

 

さて、巨大カンパニーの全関係者が集う、バーニー主催の盛大なパーティーのその日、かれは是が非でも今日こそはロッタをわがものにしようと意を決します。そんなかれのもとへただならぬ形相の息子**がロッタをともないやってきます。そして宣言するのです「われわれは愛し合っている。何が何でも一緒になるつもりだ」。不意を突かれたバーニーの意識がほんの一瞬とばなかったなんてことがありましょうか。

 

若者同士の愛を目の前に突きつけられ、白日の下に敗北を受け入れざるを得なくなっバーニーはやっと正気をとりもどします。そして不釣り合いな愛に(しかも相手を無視して)猪突猛進したおのれの愚かさ、滑稽さを思い出しては恥ずかしさのうちに悶え、木っ端みじんにならんばかりだったことでしょう。真っ赤な鬼の形相となったバーニーは有無を言わさず「ふたりとも今すぐ、この屋敷から出ていけ!」。

 

かつて味わったことのない虚脱感に沈むバーニーにかれの奥方が傲然と言い放ちます「人生、すべてが思いどおりになるものではない、ということを思い知るのね」。この奥方こそは、若き日のバーニーが野望実現のためにだけ結婚した、何のおもしろみもない平凡な女性だったのです。その彼女のことばが古代の神託のような響きと鋭さを持ってバーニーの心につき刺さるのです。

 

正気にもどったものが自暴自棄となって、また別の狂気に陥るという話を見たり聞いたりするのは、とても楽しく興奮するものだ。バーニーはパーティーの紳士淑女をめがけてライフルを手当たりしだいに•••••あるいは、地位も財産もすて去ったバーニーは、遠い昔、森林伐採に従事していた雪深い山間の荒野にたどり着く。そして今は跡形もなく消え去った娯楽場(歌と踊り、乱痴気騒ぎ)の跡地をさまよい続けるのだ。歌姫ロッタのまぼろしを探して•••••

 

敗北のなかでそのまま崩れ落ちてしまう程やわな男ではなかった、この偉大な成り上がり者は。歯を食いしばり両股に力を込めて踏ん張ったバーニーは全身の震えをおさえこみ、萎え落ちた気持ちをグッとひとおもいに直立させます。「新たな時のはじまり、それはきびしいものだ」(誰の一句でしたか?)。かれの奥底からふつふつと血潮が沸き起こり、その新生の波動に鼓舞された覇気が、かれの全身をぱんぱんに張り切りあげるのです。

 

バーニーはパーティーに集まった紳士淑女の群れにむかって、野性味たっぷりの剛毅な野太い声を張り上げます。年季のはいったでっかいトライアングルを激しく打ち鳴らして「ものども、飯の時間だぜ、COME   AND   GET   IT  ! 、もたもたしていると犬どもに食わせてしまうぞ」COME   AND  GET  IT  ! というバーニーのことばをそのままタイトルにしたが、この1936年のモノクロ映画なのです(DVDにて視聴)。

 

「ものども、飯の時間だぜ、•••」この台詞はまた、現場監督をしていた時代のバーニーが森林伐採の男どもにむかって叫んだことばでもあるのだ。でっかいトライアングルを打ち鳴らしながら。屈強な男どもがわれがちに屋外の木造りテーブルに殺到する。そして今、パーティーに集まった紳士淑女の群れが豪華なディナーの席へ、波のように押し寄せる。そのあいだをぬって若いふたりが手を取り合って玄関の方へ遠ざかってゆく。

 

この映画の前半部分は森林伐採のきびしい現場を描いていて、大自然のなかで働く男どもの荒々しい活力が画面いっぱいにみなぎっている西部劇である。ピラミッドのように積み上げられた木材が次々と雪解けなった大河を流れゆく場面、ロングであらゆる角度からとらえられるその様は(爆破によってなだれ崩れた木材群が水しぶきを上げて大河に突っ込んでゆく)迫力満点のドキュメンタリータッチである。

 

酒場における乱闘騒ぎは西部劇でのお約束のひとつであるが、この映画のそれはちょっとユニークだ。大勢の男どもが(もちろん酒場の女のコたちも黙ってはいない)画面狭しと殴り合い、投げとばし合うだけではない。画面上をいくつもの銀色のトレーが空飛ぶ円盤のようにものすごい勢いで右から左へ、左から右へと飛んでゆく。シャンデリアをぶち壊し、棚に並んだ酒瓶を粉々にし、男どもを一瞬にしてなぎ倒す。これは興奮のすさまじさ。

 

この乱闘騒ぎに参加し、バーニーやその友スワンに負けず劣らず、ならず者を相手に暴れまわった歌姫ロッタは、おだやかな家庭の主婦となった(スワンの奥方となったのだ)あとあとまでも、こときのトレーの一枚をずっと居間の壁に飾っていたものだ。夢と活力にみちていた青春、そのワイルドな思い出の記念として。ああ、男まさりの歌姫ロッタ、彼女のなんと情けにあつかったこと。