6①

ふるい西部劇(DVD)を見ていると、よく出会うのがギターをかかえた歌うたいだ。土地から土地を渡りゆき、自慢の、のどを披露する。西部における吟遊詩人といったところでしょうか。

 

また、歌うカウボーイというものもいる。やはりギターをかかえているが、カウボーイの格好をして拳銃をぶらさげている。一度だけ初期のトーキー作品で見たことがある。若きジョン・ウェインがこれに扮していた。

🎵悪党ども、町は夜までに、火の海だ〜 🎵悪党ども、覚悟せよ、ひとり残らず、皆殺しだ〜

 

とうたいながら登場する。吟遊詩人はこんな物騒なやからではない。それに、かれらは歌うカウボーイのような行動主義者ともちがう。ジョン・ウェインは水利権をめぐる町の争いに介入し、悪党どもを一掃する。吟遊詩人は流血沙汰を好まない温厚なアーチストなのだ。

 

とはいえ、はたで見ているほど気楽な商売でもなさそうだ。『地獄への挑戦』(1949)に出てくるギター弾きがいい例である。かれは、ボブ•フォードその人をまえにして「卑劣漢ボブ•フォードに背後から射殺されたジェシー・ジェイムズをたたえるバラッド」をうたうという、とんでもない危険に直面することになってしまう。

 

吟遊詩人とはいえ、いつもロマンチックに花や星をうたってばかりはいられない。次のような歌をうたうときは細心の注意が必要だ。社会性の強いもの、誰かをたたえたり、逆に非難したりするような歌。そんな場合は、聴いている相手がどんな立場の、あるいはどんな意見の持ち主なのか、よく見極めなければ、このギター弾きの二の舞いだ。

 

とはいえ、はじめての町のはじめての酒場で、目の前の男が当の卑劣漢である、などと誰が見抜けるというのだ。そこでギター弾きのなかにはこんな人種もいる。放浪稼業につきものの予期せぬ危険をきらって定住し、定職のかたわら吟遊詩人を気取っているやつらだ。これは、なんちゃって吟遊詩人でしょう。

 

🎵金と女がいれば、男は年をとらない〜

なんてギターを弾き、うたっているのは宿屋のおやじだ。そこへひとりの風来坊がやってきた。おやじはすぐに追い出しにかかる。

🎵よそ者は、どこか遠いところにゆくがいい〜🎵そこで静かに暮らしておくれ〜

定住の歌うたいだけあって風来坊にはなかなか手きびしい。皮肉な笑みを浮かべ視線をあらぬ方に泳がせている。ときおり素早く横目で風来坊を盗み見する。

 

油断のならないギター弾きである。歌うたいというよりもスパイ向きの目つきだな、これは。おやじの歌など無視して、風来坊は勝手に宿帳を記入する。おやじが「おや、カンザスの出身で」というと無愛想に「おれは、これから行くところを書くことにしている」。なんともふざけた男じゃないか。そしていきなりおやじに「この町での、おまえの役割は何なのだ」とつめよる。おやじはにやりと笑い「詩人にして愚か者さ」。

 

これは(虚勢にしても)決まったね。カッコつけるのだけは一流とみえる。風来坊が金塊強奪事件の真相を突き止めようと東奔西走する『拳銃往来』(1948)はハードボイルド•タッチの西部劇だ。言わせてもらえるならば、全編をとおして、もっともハードボイルドの香りがするのは、映画の冒頭における風来坊とおやじの会話でしょう。互いにバチバチ、いい勝負であります。

 

あるとき風来坊は与太者マリオンと殴り合い、かれをぺしゃんこに、のしてしまう。それ以来、風来坊にたいする宿屋のおやじの態度が一変する。自分が風来坊のサイドにたっていることを明確に表明していたほうが、自分の利益になりそうだ、そう判断したのだろう。計算高い歌うたいだな。まあ、強い者の旗を振るというのは、まっとうな処世術、責められることでもないか。

 

数日後おやじが、なれなれしく風来坊に話しかける「与太者マリオンに合う韻、何かないかい」。風来坊がぶっきら棒に即答する「キャリオン(腐敗物質、と字幕に和訳が出る)」。お見事!ただ者じゃないな(じつは米国陸軍の軍人で、覆面捜査官)。宿屋のおやじ、さっそく新作に取りかかっているとみえる。きっと「与太者マリオンを成敗した風来坊をたたえ」なんていう題のバラッドにちがいない。

 

太鼓持ち向きの、ごますり野郎め。柔和にして甘い歌声(ほんとうに素晴らしい、のどの持ち主なのだ、このおやじ)だからといって、誰もが西部の詩人だと認めるわけにはいかないぞ。西部開拓時代の詩人とは、土地から土地を渡りゆく吟遊詩人であってほしいのだ。風雪や砂嵐のなかを旅してほしい。不意に勃発する酒場の撃ち合いに巻き込まれてほしい。とりわけ、孤独な夜の荒野にあって天上にかがやく月や星々をうたってほしいのだ。

 

わたしが西部劇のなかで出会いたいのは、宿屋のおやじのような定住する詩人ではなく、ほんものの吟遊詩人なのです。ロバに揺られながらやってくる、ロンサムおじさんのように放浪する詩人なのです。[6②に、つづく]→