13②

近ごろの日記(と、おしゃべり)。先日、暇ができたのでちよっと離れた町に出かける。青空古本市が開催されていた。連休つぶしに、文庫本三冊と、ふるい西部劇(DVD)を買う。

 

13②ふるい西部劇/1951 年、バート•ランカスター主演の『復讐の谷』。ジャケットの解説を読むとおもしろそうだ••••冒頭、ながいキャトル•ドライブから帰郷した主役のふたりが地元の酒場にやってくる。あ〜、ここで気がついた。廉価版のDVDを持っている、みたことがある(よくある話だ)。しかし、その後の展開がまったく思い出せない。よかった、購入が無駄にならずに。

 

なぜ自分を殺してまで牧場主のために身を張るの、と問われた主人公の台詞がこの映画の要点を集約しています「恩義ある人に忠誠を尽くすということは、かれのまわりの人にも忠誠を尽くすということなのだ」。任侠映画にありそうな心構えである。世話になった親分のため、健さんあたりの若頭が組を立て直そうと奮闘している。

 

一方、親分の実子である長門裕之あたりの、できの悪い跡取りはひねくれてしまっている。親分が自分をないがしろにして健さんを頼りきりなことで。そして自分の数々の不始末を黙って被ってくれる健さんをうまく利用しようとまでするのだ。そこにつけ込んだ対立する組が、甘い話で長門裕之を誘い込もうと企てる。

 

さてかれは嫁がいるにもかかわらず(これは藤純子で)、外で他の女(これは もう南田洋子しかない)に子供をつくってしまう。すべてを知る健さんだが、親分にも藤純子にも沈黙を通す。そうこうしているうちに女の兄貴という無頼漢があらわれる。子どもの父親を殺すつもりで健さん健さんだと思い込んでいる)を襲うが逆にやられてしまう。

 

この無頼漢はぜひ待田京介にやってもらい、着流しの世界ではあるがスリーピースでビシッと決め、まん丸の黒眼鏡をかけていてほしい(そんな格好をした狂気の鉄砲玉を演じている作品をみたことがある)。もちろんドスではなくピストルだ。こんな状況にドラ息子もはげしく悔悛、父親や健さんの側とよりを戻そうとするが••••

 

そうは、うまくはいかない。甘い汁を吸わせてやったのに、この裏切り者めがと(健さんの組と対立する組によって)やられてしまった••••あとはもう健さんの斬り込みという段取り。待ち構える悪の親分は『日本侠客伝シリーズ』天津敏しかいません。ラストは夕陽をバックに警官に連行される健さん、それを見送る藤純子。と、いうことで。

 

勝手に作り上げましたが西部劇『復讐の谷』もこの通りの話だ。任侠の世界におとらず西部劇においても恩義とは重いものなのだ。開拓期の西部においては労働力はいくらあってもいいので、牧場主が孤児を引き取り(将来の働き手になることを期待して)自分の子供として育てるという話はよくでてくる。

 

育ててもらった以上、牧場主の期待にそった働きが求められることになる。恩恵を与えたものがそれ(恩恵を与えたこと)を後悔するようなことがないよう、恩恵をうけた者はつとめよーー人と人とは互いに狼と狼だ、というあのホッブズでさえ、そういっています。難しいのは恩をむくいる相手が、当の人物だけでなく、かれの家族や一族までが含まれるのか、という点でしょう。

 

ドラマチックな観点から当然、かれの家族や一族が真っ当な人間ではなく、さらに主人公がこの西部劇のバート•ランカスターのように、やたら恩義にあつい人物ということで話がおもしろくなるのだ。ところでこの『復讐の谷』は、わたしが勝手に語った任侠話とはちがい、クライマックスの勝負をたたかうのは、バート•ランカスターと牧場主の息子です。

 

つまり、かれは、最後の最後まで悔悛することなく、牧童頭のバート•ランカスターを亡き者にしようとするのだ。ちよっと優男(やさおとこ)で、甘えが抜けきらない、軟弱の根性なし、すぐに安易な悪知恵にたよろうとする腐った野郎を、ロバート・ウォーカーが素晴らしく演じています。この西部劇、かれのゲスぶりを堪能する作品なのかもしれません。

 

そのほかの見所としては(1)牧童の仕事(牛の大移動や、牛の焼印について)がかなり描かれていて、そのなかでなかなかおもしろい場面がある。主人公がいくつもの(つまりいくつもの牧場の)焼印を覚え込んでいるのだ。たとえば「○に縦棒3本は✴✴牧場、○▽は✴✴牧場••••」といった具合に。いくつもの牧場の牛をまとめて移動させたり、無関係な牧場の牛が迷い込んだりするからなのだ。

 

見所(2)、町の保安官が異様に目つきの鋭い、ひと癖もふた癖もある(どこかの無頼漢あがりだろう)男だ。町にやってきた無法者もなかなか盾突けない威圧感がある。二場面ほど登場したが、あのあと一体どうなったのだ。見せ場をあたえてほしかったね。ちょっとおしい。監督はリチャード・ソープ